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横浜地方裁判所 平成8年(ワ)4202号 判決 2000年7月19日

主文

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一  甲事件被告甲野太郎は、甲事件原告丙野三郎及び甲事件原告丙野春子各自に対し、各金四八六一万一七三四円及びこれらに対する平成五年一二月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  乙事件原告乙野に対し、乙事件被告丙野三郎は、金七八万七八七〇円及びこれに対する平成六年四月一日から支払済みまで年五分の割合による金員、乙事件被告丙野春子は、金三九万三九三五円及びこれに対する平成六年四月一日から支払済みまで年五分の割合による金員、乙事件被告甲野太郎は、金二九六万六五三五円及びこれに対する平成五年一二月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を各支払え。

三  甲事件原告丙野三郎、甲事件原告丙野春子及び乙事件原告乙野次郎のその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、甲事件原告丙野三郎及び甲事件原告丙野春子と甲事件被告甲野太郎との間においては、甲事件原告丙野三郎、甲事件原告丙野春子に生じた費用は、全部甲事件被告甲野太郎の負担とし、乙事件原告乙野次郎と乙事件被告丙野三郎、乙事件被告丙野春子及び乙事件被告甲野太郎との間においては、乙事件原告乙野次郎に生じた費用を一〇分し、乙事件原告乙野次郎がその四を、乙事件被告丙野三郎及び乙事件被告丙野春子がそれぞれその一を、乙事件被告甲野太郎がその四を負担し、その余は各自の負担とする。

五  この判決は、第一項及び第二項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  甲事件について

1  甲事件被告兼乙事件被告甲野太郎(以下「被告太郎」という。)は、甲事件原告兼乙事件被告丙野三郎(以下「原告三郎」という。)並びに甲事件原告兼乙事件被告丙野春子(以下「原告春子」という。)に対し、各自金四九四二万六七三五円及びこれらに対する平成五年一二月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告太郎の負担とする。

3  仮執行宣言

二  乙事件について

1  乙事件原告乙野次郎(以下「原告乙野」という。)に対し、原告三郎及び被告太郎は、各自金七四六万六五三五円、原告春子は、金三七三万三二六七円及びこれらに対する平成五年一二月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を各支払え。

2  訴訟費用は原告三郎、原告春子及び被告太郎の負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言

第二  事案の概要等

一  事案の概要

1  甲事件について

本件は、被告太郎が、平成五年一二月一四日、藤沢市亀井野字西谷<番地略>所在のアパート「○○」(以下「本件アパート」という。)二〇二号室において、かねてより同棲中の原告三郎及び原告春子(以下右原告両名を「原告三郎ら」という。)の娘である丙野夏子(以下「夏子」という。)の頸部を刃物で切るなどの傷害を負わせた上、意識を喪失して倒れている夏子の身体や畳等に灯油をかけた後、ライターで点火して放火し、夏子を焼死させたと主張する原告三郎らが、被告太郎に対し、不法行為に基づいて、損害賠償を請求している事案である。

2  乙事件について

本件は、本件アパートの所有者である原告乙野が、夏子に対し本件アパート二〇二号室を賃貸し、原告三郎との間で右賃貸借契約から生じる債務に関する連帯保証契約を締結したところ、夏子において、平成五年一二月一四日、被告太郎と心中しようとして、本件アパートに灯油を撒いて、火災を発生させ、本件アパート二〇二号室を全焼させ、賃貸借契約に基づく目的物返還義務を故意に履行不能にさせるとともに、被告太郎と共同不法行為を行ったと主張して、原告三郎に対しては、連帯保証契約並びに夏子から相続した債務不履行責任及び共同不法行為責任に基づき、被告春子に対しては、夏子から相続した債務不履行責任及び共同不法行為責任に基づき、被告太郎に対しては、共同不法行為責任に基づき、損害賠償を請求している事案である。

二  前提となる事実(争いのない事実以外の証拠によって認定した事実については、当該認定事実の末尾に認定証拠を摘示する。)

1  当事者等

(一) 夏子は、昭和四三年一月二一日、原告三郎と原告春子との間に出生したものであり、原告三郎らは、ともに夏子の法定相続人である(甲六、原告春子本人)。

(二) 被告太郎は、昭和四七年七月二二日、甲野五郎と甲野冬子(以下「冬子」という。)との間に出生し、平成五年三月、専門学校を卒業した後、同年四月からは、被告太郎のいとこの義父が経営する建設関係の大旭建業株式会社に勤務し、営業員として働いていた(甲三三、原告春子本人、被告太郎本人)。

(三) 原告乙野は、本件アパートの所有者である(丙九)。

2  本件アパート二〇二号室の構造

本件アパート二階平面図は、別紙現場見取図第4のとおりであり、二〇二号室は、北側に玄関があり、その東側に洗面室・便所・浴室が、その南側に台所兼食堂があり、さらにその南側に和室があり、その東側には洋室がある(甲三四、四三)。

3  夏子と被告太郎とが交際するに至る経緯

(一) 夏子は、平成四年七月から、「オリエンタル・エステ・アムヤック」(以下「アムヤック」という。)に顧客として出入りしていたが、そこで従業員として働いていた被告太郎の姉甲野秋子(以下「秋子」という。)と出会って親しくなり、平成四年七月からアムヤックに勤務し、そのころ、被告太郎と出会った(甲六、一七、三九、原告春子本人)。

夏子は、その後、アムヤックを退職し、同年一〇月から、宝石・服飾を製造・販売する株式会社マキ(以下「マキ」という。)に入社した(甲六、三九、原告春子本人)。

(二) 夏子は、それまでは、原告三郎らと実家で一緒に暮らしていたが、平成四年一二月七日、原告乙野から、本件アパート二〇二号室及び駐車場を、賃料一か月七万一〇〇〇円(共益費一か月二〇〇〇円、駐車場代一か月六〇〇〇円を含む。)、賃貸借期間同月八日から平成六年一二月七日までとの約定で賃借した(以下「本件賃貸借契約」という。甲四、六、二五、丙一、原告春子本人)。

原告三郎は、平成四年一二月七日、乙野との間で、本件賃貸借契約から生ずる夏子の債務につき、連帯保証契約(以下「本件連帯保証契約」という。)を締結した(甲六、丙一)。

夏子は、同月一〇日ころから、本件アパート二〇二号室に入居し、被告太郎は、本件アパート二〇二号室に、時々泊まるようになり、その後、同棲するようになった(甲一七、被告太郎本人)。

4  夏子が死亡するに至る経緯

(一) 夏子は、平成五年一二月一三日、夏子の実家において、原告三郎らの立合いのもと、被告太郎と話し合って、被告太郎と別れることにした(甲四、六、原告春子本人)。

(二) 夏子は、翌一四日午後零時二〇分ころ、焼死し、本件アパート二〇二号室は、同日午後零時二五分ころ、全焼した(甲一、丙八)。

三  争点

1  甲事件について

(一) 主位的請求原因

被告太郎は、夏子に傷害を負わせた上、本件アパート二〇二号室に放火して、夏子を焼死するに至らしめたか。

(二) 予備的請求原因

被告太郎は、夏子に暴行、傷害、脅迫を加えるなどして将来を悲観させて自殺するに至らしめたか。

(三) 原告三郎らの損害

2  乙事件について

(一) 本件アパート二〇二号室が全焼したことによる損害につき、夏子は、債務不履行責任及び共同不法行為責任、被告太郎は、共同不法行為責任を負うか。

(二) 原告乙野の損害

四  争点に対する当事者の主張

1  争点1(一)(被告太郎は、夏子に傷害を負わせた上、本件アパート二〇二号室に放火して、夏子を焼死するに至らしめたか。)について

(原告三郎らの主張)

(一) 被告太郎は、平成五年三月ないし四月ころから、夏子が暮らしていた本件アパート二〇二号室に、夏子と同居し始めた。

しかし、被告太郎は、些細なことでも異常に激昂し、夏子に対し、暴力を加え、また、手や胸などにタバコの火を押し付けて火傷を負わせ、さらに「今度家に逃げ帰ったりしたら、家に火をつけてやる。」と脅迫するなどした。

そのため、夏子は、被告太郎と別れたいという気持ちを持つようになり、平成五年一二月一三日、被告太郎と完全に別れることにした。

(二) 被告太郎は、翌一四日、本件アパート二〇二号室において、夏子に対し、被告太郎と別れる決意を固めたことに対し文句を言い、徐々にエスカレートして激昂し、夏子の頸部を刃物で切るなどの傷害を負わせた上、意識を喪失して和室の畳の上に仰向けになって倒れている夏子の身体や畳等に灯油をかけた後、ライターで点火して放火し、本件アパート二〇二号室の床、壁及び天井に燃え移らせて焼損し、その結果、夏子を焼死させて、殺害した。

(三) 右被告太郎の放火、殺害行為は、不法行為を構成する。

(被告太郎の主張)

被告太郎は、心中するつもりはなかったにもかかわらず、夏子が、本件アパート二〇二号室に火を放ち自殺したのであり、被告太郎は、放心状態でそれを制止することができなかったのである。

よって、被告太郎は、不法行為の責任を負わない。

2  争点1(二)(被告太郎は、夏子に暴行、傷害、脅迫を加えるなどして将来を悲観させ自殺するに至らしめたか。)について

(原告三郎らの主張)

仮に、被告太郎の主張どおり、夏子が自殺したものであるとしても、被告太郎は、夏子の人格を無視し、しばしば暴行、傷害、脅迫を加えた上、夏子が別れる決意をしたことに納得せず、夏子に、生きる望みを失わせて自殺するに至らせたのである。

被告太郎の右行為は、不法行為を構成する。

3  争点1(三)(原告三郎らの損害)について

(原告三郎らの主張)

(一) 夏子の損害

合計六七一八万三四七〇円

(1) 逸失利益

三七一八万三四七〇円

賃金センサス平成五年第一巻第一表の女子・高卒・二五歳の労働者の平均

賃金 三〇四万八八〇〇円

生活費控除率 三〇パーセント

就労可能年数は、六七歳から二五歳を差し引いた四二年間

就労可能年数四二年に対応するライプニッツ係数17.423

よって、逸失利益は、304万8800円×(1−0.3)×17.423=3718万3470円である。

(2) 慰謝料 三〇〇〇万円

本件は、当時二五歳であった夏子が、交際し同棲するようになった被告太郎から、しばしば暴行、傷害、脅迫を加えられたため、別れる決意を固めたところ、それに激昂した被告太郎から、傷害を負わされた上、放火されて、焼死させられたものであり、右被告太郎の行為は、夏子の人格を無視し、人の尊厳及び人命を無残に踏みにじる残虐極まりのないものであり、夏子の慰謝料は三〇〇〇万円を下らない。

(3) 夏子の父母である原告三郎らは、夏子の右損害賠償請求権を各二分の一の割合で相続した。

(二) 原告三郎らの損害

合計二一五〇万円

(1) 葬儀費用 一五〇万円

(2) 慰謝料 二〇〇〇万円

本件による夏子の死亡によって、原告三郎らが受けた衝撃と悲しみは甚大であり、この精神的苦痛は極めて大きく、その慰謝料額は各一〇〇〇万円を下らない。

(三) 弁護士費用 一〇一七万円

原告三郎らは、被告から本件に関する謝罪はもちろん、右損害に対する弁償も全くないことから、やむなく、代理人に対し、本訴の提起及び遂行を委任し、日本弁護士連合会報酬基準に基づく着手金及び報酬金として一〇一七万円を支払うことを約した。

(四) 以上により、原告三郎らは、被告太郎に対し、不法行為に基づき、各自四九四二万六七三五円及びこれらに対する不法行為の日である平成五年一二月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告太郎の主張)

原告主張の損害については争う。

4  争点2(一)(本件アパート二〇二号室が全焼したことによる損害につき、夏子は、債務不履行責任及び共同不法行為責任、被告太郎は、共同不法行為責任を負うか。)について

(原告乙野の主張)

(一) 夏子は、平成五年一二月一四日、被告太郎とともに、心中しようと、本件アパート二〇二号室の和室内の枕元、布団に灯油を撒いて火をつけ、火災を発生させ、二〇二号室を全焼させ、二〇二号室の真下に位置する一〇二号室を放水により毀損させた。

(二) 右夏子の行為は、本件賃貸借契約に基づく目的物返還義務を故意に履行不能にさせたものであるとともに、被告太郎との共同不法行為にあたる。

(三) よって、夏子は、債務不履行責任及び共同不法行為責任を、被告太郎は、共同不法行為責任を負う。

(原告三郎らの主張)

本件は、夏子が、被告太郎とともに心中しようとして本件アパート二〇二号室に火を放ったものではなく、被告太郎が、二〇二号室に放火し、夏子は、その過程で殺害されたものである。

よって、夏子は、債務不履行責任及び共同不法行為責任を負うものではなく、被告太郎のみが不法行為責任を負うものである。

(被告太郎の主張)

被告太郎は、心中するつもりはなかったにもかかわらず、夏子が、自殺しようとして、本件アパート二〇二号室に火を放ち、二〇二号室を全焼させたものである。被告太郎は、瞬時の出来事で放心状態になり、それを制止することができなかった。

よって、被告太郎は、共同不法行為責任を負わない。

5  争点2(二)(原告乙野の損害)

(原告乙野の主張)

(一) 夏子が居住していた本件アパート二〇二号室について、平成六年一月一日から次の入居者が入った前日である同年一二月三日までの賃料等相当損害金(賃料等一か月七万一〇〇〇円) 七八万七八七〇円

(二) 本件アパート二〇二号室の真下に位置する一〇二号室について、平成五年一二月一四日から次の入居者が入った前日である同年一二月九日までの賃料等相当損害金(賃料等一か月六万八〇〇〇円) 八〇万七二二四円

(三) 原告乙野が火災処理のために要した原告乙野の自宅と本件アパート間の往復交通費・近隣に対して支払った見舞金その他必要経費

八七万一四四一円

(四) 精神的苦痛に対する慰謝料

五〇〇万円

(1) 本件アパートの復旧工事について

原告乙野は、本件アパートの復旧工事が平成六年三月二八日から始まる予定であったため、その前に施行業者との調整、本件アパートの入居者への了承要請、近隣住民への着工挨拶等を済ませていたところ、被告三郎らが被告太郎に対する告訴状を提出し、本件アパートの捜査の必要が生じたことにより、警察から再三に亘り復旧工事の延期を強いられ、その結果、施工業者、本件アパートの入居者及び近隣住民に対し、幾度も協力要請し、これらの者からの信用を失った。その上、原告乙野は、高血圧・糖尿病の持病があるのに、右協力要請のため、自宅のある神戸と本件アパートとの間を往復し、経済的・肉体的・精神的・時間的損失を被った。

(2) 原告三郎らの行動について

原告三郎らは、本件アパートの火災を発生させた夏子の両親であり、原告三郎にあっては本件賃貸借契約の連帯保証人であるにもかかわらず、平成五年一二月一四日の火災発生以降、原告乙野に対し、陳謝していない。

また、本件アパートの近隣住民は、火災発生時精一杯の協力を行ったにもかかわらず、原告春子は、近隣住民に、事件について聞き込みに回るだけで、何らの謝罪もしなかった。このことにより、原告乙野は、本件アパートの家主として、近隣住民に申し訳なく思い、精神的苦痛を増大させた。

(3) 本件アパートの入居者募集について

原告三郎は、本件アパートから死者が出たことにより、賃貸物件としての価値が下がり、入居者の募集が困難になるのではないかとの著しい不安感を抱いた。

(4) 以上により、原告乙野の精神的苦痛は、五〇〇万円を下らない。

(五) よって、原告乙野は、原告三郎に対しては、連帯保証契約並びに夏子から相続した債務不履行責任及び共同不法行為責任に基づいて、七四六万六五三五円及びこれに対する平成五年一二月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告春子に対しては、夏子から相続した債務不履行責任及び共同不法行為責任に基づいて、三七三万三二六七円及びこれに対する平成五年一二月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、被告太郎に対しては、共同不法行為責任に基づいて、七四六万六五三五円及びこれに対する平成五年一二月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

(原告三郎らの主張)

原告主張の(四)精神的苦痛に対する慰謝料(2)について

(一) 原告三郎らは、原告乙野の自宅に電話し、本件アパート二〇二号室から出火し夏子が焼死するに至ったことで、原告乙野に多大な迷惑をかけ申し訳ない旨伝えているし、また、弁護士を通して、本事件の実態、原告三郎らが被告太郎を刑事告訴している旨伝え、原告三郎らの対応について理解を求めていた。

(二) 原告春子が、近隣住民に聞き込み調査をしたのは、最愛の娘を焼死させた悲しみと絶望の中で、真実を知り法的にも正しい対応を求めるためであり、母親として当然のことである。

また、本件アパートの他の入居者や近隣住民は、原告春子や弁護人の調査の趣旨理由を理解され、親切かつ積極的に調査に応じてくれた。

(被告太郎の主張)

原告乙野の主張する損害については争う。

第三  当裁判所の判断

一  事件に至る経緯及び事件後の経緯

前記前提となる事実等及び証拠(認定事実の末尾に摘示する。)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の各事実が認められ、これに反する乙一ないし乙五、被告太郎の供述及び証人冬子の証言は信用することができない。

1  夏子と被告太郎とが交際し、同棲するに至る経緯

(一)夏子は、平成四年七月、約四年間勤務した旅行会社を退社し、同月二三日から、顧客として行ったことのあるアムヤックで、アルバイトをし始めた(甲六、原告春子本人)。

夏子は、アムヤックに勤務していた秋子と親しくなり、秋子の家で食事をした際、被告太郎と出会った。夏子は、秋子の家で、秋子の帰宅を待ちがてら被告太郎と二人で話すなどするうちに、被告太郎と交際するようになった(甲四、六、乙二、原告春子本人)。

夏子は、同年八月二九日、秋子と一緒にアムヤックを辞め、一か月ほど、スナックでアルバイトをし、同年一〇月一日、マキに入社し、横浜東口店に勤務するようになった(甲六、乙二、原告春子本人)。

(二) 夏子は、かねてから二五歳になったら家を出て独立をしたいと考えていたところ、原告春子の友人が、実家から歩いて五分くらいのところにある本件アパート二〇二号室から退去することになったため、一人で暮らすことを条件に原告三郎らの許しを得て、同年一二月七日、原告乙野と本件賃貸借契約を締結し、同月一〇日、本件アパート二〇二号室に引っ越した(甲四、六、二五、丙一、原告春子本人)。

(三) 被告太郎は、初めは、本件アパートに遊びに来るだけだったが、そのうちに、夏子と同棲するようになった(甲一七、三四[写真番号二六]、四三[写真番号一七]、被告太郎本人)。

2  夏子と被告太郎との同棲生活

(一) 被告太郎は、夏子と同棲し始めたときは、まだ学生だったこともあって、生活費を負担することはなかったが、平成五年四月から働き始めてもなお、給料を社員旅行や自動車の購入代金などに遣い、生活費を出さなかった(甲四、六、一七、被告太郎本人)。

そのころ、夏子は、マキの鶴見店に勤務していたが、残業で帰宅が遅れると被告太郎から異常なほど怒られるため、同年五月ころ、勤務地を本件アパートに近い藤沢コスタ店に変えてもらった(甲四、六、一七、原告春子本人)。

それでも、被告太郎は、夏子が早く帰宅しないと、藤沢コスタ店に何度も電話をしてきて、荒々しい言葉遣いで早く帰るように言い、夏子は、毎月一回夜行われるミーティングにも少しの時間しか参加することができなかった(甲二四、二六)。

(二) 夏子は、配置換えのため給料が減り、また、被告太郎と休みがあわないため、新聞の折り込みチラシで新しい仕事を探そうと、被告太郎に相談をすることなく新聞をとったところ、被告太郎は、平成五年六月九日、許可を得ずに行動したことに立腹し、夏子に「頭を冷やしてこい。」と怒鳴って、実家に一時帰らせた(甲四、六、原告春子本人)。

夏子は、原告春子と同じ保険外交員になることを検討していたところ、同月二二日、原告春子から、保険外交員は考えるほど収入がよくないから、ならない方がいい旨の忠告を受けた。その際、原告春子が、夏子と被告太郎に対し、親として注意するべきことは注意する等の説教をしたため、以後、被告太郎は、原告春子のことを毛嫌いするようになり、夏子を通じて自分らに干渉しないように言った(甲四、六、原告春子本人)。

(三) 夏子は、平成五年六月二〇日ころ、もとのボーイフレンド甲山六郎から、友達の結婚式の二次会に出席するかどうかの確認の電話を受けたが、その話の途中で被告太郎が帰宅したため、やきもちを焼かれるのが嫌で、電話を一方的に切った。数日後、右甲山から再び電話があると、被告太郎は、電話をとり、甲山の話を全く聞かず、いきなり「なんだテメー、馬鹿野郎、何者だ。」と怒鳴り散らし、電話を切った。そして、被告太郎は、夏子に、過去の異性関係を全部話せと言って、夏子のアドレス帳を破ったり、口紅で壁や柱にいたずら書きをしたりした上、夏子に暴力を振った。そのため、夏子は、会社を二日間休まざるを得なかった(甲四、六、二七、原告春子本人)。

その後、被告太郎は、夏子に命じて友人に電話をかけさせて、右甲山の電話番号を聞き出し、甲山に電話をかけて、「バカヤロー、テメー。」などと会話にならない一方的な電話をして切った(甲四、二七)。

(四) これを契機に、被告太郎は、夏子を信用しなくなり、家の電話番号を勝手に変えて他人には電話番号を教えないように厳命し、男女を問わず他の人とつきあうことを禁止し、藤沢コスタ店にしょっちゅう電話をかけてきては長々と話すようになった(甲一七、一八、二一ないし二四、二七、二八、原告春子本人)。

被告太郎は、夏子の帰宅が少しでも遅れると、男といたのかと疑って怒り出し、包丁を持ってあばれ、包丁で床や壁に切りつけたり、カーテンや柱を刻んだり、手拳で壁に穴を開けたり、電話機を壊したりした(甲一七、一九、二二、二三、三四[写真番号五九、六〇、六三ないし六六]、四一、四三[写真番号一二二、一二四、一二五、一五二、一七二ないし一七四、三七〇、三七二、四五七、四五八]、四六[写真番号一六、一八ないし二〇、二三ないし二五]、原告春子本人、被告太郎本人)。

それでも気が治まらないと、被告太郎は、夏子に暴力を振い、夏子の顔全体・両腕に青あざを、左肩全部に引きずられたような傷を、左大腿部・足首にも内出血を伴う怪我を負わせた(甲一七、二六)。

さらに、被告太郎は、夏子に対し、自分の身体に煙草の火をあてるように命令し、夏子の両手、両腕、胸を火傷させた(甲一七、二二、二三、二六)。

また、このころから、被告太郎は、夏子に、一緒に死のうと持ちかけるようになり、夏子に対し、包丁で手首を切って先に夏子から死ぬように命令して、手首に怪我を負わせた(甲一七、一九、原告春子本人)。

このような被告太郎の暴力について、夏子は、中学時代からの友達のA子に対しては、死ねと言われてもそれはできないし、太郎と一緒に死にたいとは思わない旨漏らし、また原告春子に対しても、泣きながら相談をしたことがあった(甲四、六、一七、原告春子本人)。

(五) 夏子は、平成五年八月三日、被告太郎と夏休みの旅行のことでもめ、被告太郎がテーブルをひっくり返して怒ったため、耐えられなくなって、実家に逃げ帰った(甲四、六、原告春子本人)。

原告三郎は、被告太郎を呼び出し、別れることを勧め、また夏子も、右胸部分の火傷の跡を見せて、「もうこれ以上、体に傷を付けられるのはイヤ。」「もう、これ以上一緒に暮らせない。」と言ったが、被告太郎が、注意されたことを守ると約束をしたため、被告太郎と夏子は、引き続き同棲することになった(甲四、六、原告春子本人)。

(六) しかし、被告太郎は、より一層自己中心的になり、夏子が棚卸しのため残業していた平成五年八月二四日には、何で早く帰れないのかと怒って夏子の勤務先に電話をかけて店長と口論をしたり、同年九月一一日午前八時五〇分ころ、原告三郎から夏子に電話があると、こんなに朝早く電話をするなと怒って夏子に電話を切らせたりした(甲四、六、二四、二六、原告春子本人)。

その上、被告太郎の暴力はより一層ひどくなり、夏子は、顔、足、腕にあざができた(甲一七、一八、二四、二六、二八、三一、原告春子本人)。

夏子は、同僚のB子や原告三郎らに対し、被告太郎に怖くて逆らえず、被告太郎と別れたいと漏らすようになった(甲四、六、二六、原告春子本人)

(七) 夏子は、平成五年九月一七日午後二時三〇分ころ、被告太郎の暴力に耐えられなくなって実家に帰り、原告春子に被告太郎と別れたい旨訴えた。夏子は、その後、夏子の実家に来た被告太郎と話し合って、別れることにし、被告太郎は、次の日、本件アパートから出ていく旨約束した(甲四、六、原告春子本人)。

(八) しかし、被告太郎は、約束に反して、本件アパートから出ていくことはなく、かえって、夏子に約束事を紙に書かせ、約束を破ったらどうなるか、今度実家に逃げ帰ったら実家に火をつけてやると脅し、ちょっとしたことですぐに怒って暴力を振った。夏子は、顔や足が腫れ上がり、全身に傷とあざができ、眼帯をかけて出勤することもあった(甲六、一八、一九、二二ないし二四、三一)。

また、被告太郎の夏子に対する監視、束縛も尋常ではなく、夏子は、兄の結婚式に出席しても被告太郎に気を使ってさっさと帰り、事前に被告太郎の承諾を得て友達と会う約束をしても、被告太郎の機嫌が悪くなるとその約束を反故にせざるをえず、仕事中でも絶えずポケットベルで被告太郎と連絡を取らなくてはならなかった(甲四、六、一八、原告春子本人)。

そのため、夏子は、被告太郎と別れることを真剣に考え、友人のA子、C子や原告三郎らに、どうやったら別れられるか悩んでいる旨漏らすようになった(甲六、一七、二二、二三、原告春子本人)。

3  夏子と被告太郎が別れるに至る経緯

(一) 夏子は、平成五年一二月一二日の夜、原告春子に誕生日祝いを贈ったことなどが原因で被告太郎と喧嘩をし、被告太郎から殴られた。夏子は、翌一三日朝、被告太郎の命令に従って、足を揉んだが、出勤時刻になったため途中でやめると、被告太郎から怒鳴られた。さらに、夏子は、被告太郎が勤務中に電話をかけてきたため、仕事で忙しく長く話せないと言うと、怒鳴られ、二時間くらい電話を切らせてもらえなかった(甲四、六、二二、二三、三七、原告春子本人、被告太郎本人)。

遂に、我慢の限界を超えた夏子は、今度こそ被告太郎と別れる決心をして、実家に帰った(甲四、六、二二、二三、原告春子本人)。

夏子は、原告春子に、被告太郎とはもう絶対一緒にはやっていけない、別れる決意をした旨言い、被告太郎が夏子を迎えに来ても靴を隠していないふりをし、原告三郎に対しても、今夜こそ別れる決意をしたと断言した(甲四、六、原告春子本人)。

そこで、原告三郎らは、被告太郎を呼び出し、夏子と別れるように言い、また、夏子も、別れる決心をした旨被告太郎に泣きながら伝えた。被告太郎は、初めはあぐらをかき煙草をふかしながらふてくされた様子で聞き、別れ話が出たときには目つきが変わったが、最終的には、夏子と別れ、同月一八日までには本件アパート二〇二号室を引き払うことに同意した(甲四、六、原告春子本人)。

夏子と原告春子は、被告太郎が原告三郎宅を辞する際、玄関まで被告太郎を見送りに出た。夏子は、被告太郎に明日はちゃんと会社に出勤するように言い、被告太郎が帰ると、嬉しそうな顔をして万歳をし、「これで明日から自由になれる。」と言い、原告三郎らに、明日は仕事が休みだから、住民票の異動、本件アパート二〇二号室の解約手続きを取る他、当面必要な荷物を本件アパートに取りに行くとの話をした(甲四、六、原告春子本人)。

(二) 夏子は、翌一四日午前七時ころ、原告三郎を駅まで車で送り、その際、今後の生活について希望に満ちた様子で語り、午前八時二〇分ころ、旅行に行くという原告春子を駅まで送った際にも、原告春子に対し、午前中に用件を済ませて、午後六時には家に帰る旨告げた(甲四、六、原告春子本人)。

夏子は、原告春子を駅に送り届けた後の午前八時三〇分ころ、そのまま車を運転して、本件アパート二〇二号室に荷物を取りに行き、本件アパートに接するアパート××の南側路上に駐車し、本件アパート二〇二号室に入った(甲四、六、三二、三四[写真番号一〇一]、原告春子本人)

(三) 他方、被告太郎は、平成五年一二月一三日、夏子と別れ話をした後、本件アパートに戻り、母冬子に電話をした。冬子は、被告太郎のことを心配して本件アパートにタクシーで駆けつけて泊まった(甲三七、乙一、証人冬子、被告太郎本人)。

被告太郎は、翌一四日、冬子を勤務先まで車で送り届け、また本件アパートに戻った際、先に来ていた夏子と鉢合わせすることになった(甲三七)。

【証拠判断】

この点、被告太郎は、右同日午前八時ころ目が覚め、ちょうど出勤しようとしていた冬子に、布団の中から「いってらっしゃい」と言い、一〇時ころ、本件アパートを車で出発して会社に行きかけたが、会社に行くのが嫌になって、車にガソリンを入れただけで本件アパートに戻り、午前一〇時四〇分ころ、再び会社に向かおうと車を一〇〇メートルほど運転したところ、夏子の車とすれ違い、一緒に本件アパートに行った旨陳述及び供述するが(乙一、被告太郎本人)、本件アパート一〇一号室に居住するD子が午前八時二〇分から三〇分までの間に××の横に赤い車が止めてあったのを目撃したとの陳述があり(甲三二)、右車は、夏子が運転してきた原告春子の自動車であると推認されるから、夏子は、午前八時二〇分から三〇分までの間に本件アパートに到着したと認められ、被告太郎の供述は右事実と矛盾するから信用することができない。また、冬子も、本件アパート二〇二号室に被告太郎を残したまま、午前七時前に出発し、途中、銀行に立ち寄り、記帳等を行って、勤務先には午前八時半ころに到着していた旨供述するが(証人冬子)、本件アパート二〇二号室から冬子の勤務先までは、途中寄り道をせず、真っ直ぐに行けば、通常一時間は掛からないというのであるから(証人冬子)、たとえ、銀行で記帳をしたとしても、午前八時には勤務先に到着しているはずであって、右冬子の供述は、時間的に符合しない上、原告三郎らや夏子の通っていた藤沢福音自由教会の池田豊牧師は、事件直後に被告太郎とその両親から呼び出され、被告太郎やその両親から、事件当日、被告太郎が冬子を車で送り届けたとの話しを聞いている(甲三七)ことに照らせば、到底これを信用することはできない。

4  事件後の経緯

(一) 被告太郎は、救急車により湘南第一病院に搬送され、平成五年一二月一七日ころに退院した。被告太郎には、夏子が死亡したとの情報は、与えられていなかった(証人冬子、被告太郎本人)。

(二) 夏子の通夜は平成五年一二月一八日に、葬儀は同月一九日に行われた。

(三) 被告太郎は、平成六年八月二一日から同月二二日にかけて、睡眠薬自殺を図ったが、未遂に終わった(乙二、証人冬子、被告太郎本人)。

二  争点1(一)(被告太郎は、夏子に傷害を負わせた上、本件アパート二〇二号室に放火して、夏子を焼死するに至らしめたか。)について

1  客観的前提事実

原告三郎らは、被告太郎が、夏子に傷害を負わせた上、放火して夏子を焼死するに至らしめた旨主張するが、その点を検討する前提として、平成五年一二月一四日午後一時から同月一五日午後二時にかけて実施された実況見分(以下「第一回実況見分」という。)の調書(甲三四)、平成六年五月一二日午後零時五〇分から同月一五日午後二時三〇分にかけて実施された実況見分(以下「第二回実況見分」という。)の調書(甲四三)及び鑑定書(甲三五)等から認定できる客観的事実は以下のとおりである。なお、第一回実況見分時の本件アパート二〇二号室の状況は、別紙現場見取図第5記載のとおりである(甲三四)。

(一) 夏子の死因

夏子の死因は焼死であり、死亡推定時刻は、平成五年一二月一四日午後零時二〇分ころである(甲一、三五)。

(二) 夏子の死亡状況

(1) 夏子の死体の状況は、別紙現場見取図第5に記載のように、その頭部は南西方に向き、足は北東方に向いた仰向けの状態で、左右大腿部は、外方に約九〇度に開き、左下腿部は、膝付近から焼燬により離断して二八センチ北方に位置し、右下腿部は、膝部より鋭角に内に曲がっていた。着衣片は、死体の全身にも、床上にも存しなかった(甲三四)。

(2) 死体の前面部は、頭部から下肢部にかけ火傷四度で、火傷が著しかった。頸部付近は、赤色を呈し、血液様の臭気がした。死体を反転すると、後頭部の頭皮、頭髪及び後頸部の皮膚は残存し、後頸部には布片様の物が付着していて、灯油様の臭気があった。背面部から臀部にかけて皮膚は残存していたが、衣類等の付着は認められなかった。臀部の中央付近は火傷三度であったが、その周りはほぼ炭化状態であった。(甲三四)。

(三) 死体の鑑定結果

(1) 後頭、後頸、背腰部、臀部に炭化した皮膚が残存するのみで、他は高度に焼損していた。全身に認められる熱損傷は、殆ど第三・四度火傷ないしそれ以上の高度焼損であり、焼死した後、なお、高度の火焔が全身に作用した結果と判断され、全身の熱損傷の程度、状況から推測すると、ほぼ仰臥位での焼燬と認められる(甲三五)。

(2) 右総頸動脈が鎖骨上方一センチの部及び2.5センチの部において、その前壁が比較的整鋭に横に断裂しており、比較的鋭利な刃器等による切創の可能性を否定できない。但し、この動脈損傷が直接死因になるような損傷であるとは認めがたい(甲三五)。

(3) 夏子の膣内から多数の精子が検出されており、死亡時刻に比較的接近した時期に性交の事実があったものと認められる(甲三五)。

(四) 玄関内部の状況

(1) 玄関北側のドアは、内側の上方北西隅が三角状に燃焼していた(甲四三)。

(2) 玄関東側壁面は、表面のクロスが南側下方から北側上方にかけて焼損し、壁面に沿って設置された下駄箱も、その南側板及び西側開き戸の上部が燃焼し、下部及び北側板は燃焼を免れていた。下駄箱南奥の洗面室に通じる木製片開きドアも、上方が燃焼していた(甲四三)。

(3) 玄関の南側の台所に通じる木製片開きガラス戸は、ガラス八枚が全て破損し、骨組のみが残存していた。ガラス戸の東側に接する壁は、クロスの上方が消失し、下方は一部焼燬を免れていた。ガラス戸の上方及び天井部は、全て表面が焼損し、黒く煤けていた(甲四三)。

(4) 玄関西側壁面は、北西隅下方が三角状に残存しているのみで、上方部等は、焼損炭化していた(甲四三)。

(5) 玄関の西側壁面、東側下駄箱の焼燬状況により、台所側から南側上方への延焼といえる(甲三四)。

(6) 床は、表面のみ軽度に焼けていた(甲四三)。

(五) 洗面室内の状況

西側にあるドアの外側(西)には焼燬部分も認められるが、壁面、天井、床面、便所内壁、風呂場の内壁及び浴槽は、いずれも、焼燬していなかった(甲四三)。

(六) 洋室内の状況

(1) 洋室への木製片開戸は、骨組のみが残存し、戸を開くと柱と蝶番部分が白く焼け残っていたことから、火災発生当時、閉められていたことが確認された(甲三四、四三)。

(2) 北側壁面は、上半分のクロスが東側上方にかけて焼け剥がれて耐火ボードが露出し、下半分のクロスは焼燬を免れた(甲三四、四三)。

(3) 東側にある押入上部の壁面は、大部分焼損し、天井に至っていた。押入二枚引き戸の上方は若干焼燬していたが、下方は焼燬も弱かった。第一回実況見分時、押入の襖は、北側に三分の二ほど開けられ、また、押入南側の洋服ダンスの両開戸は両方とも全開しており、内部下の押入ダンスの上部引き出しが引き出されていた(甲三四、四三)。

(4) 南側の出窓は、焼燬、破損していなかった。南側壁面は、壁上方及び天井部のクロスが黒く焼燬しているのを除き、焼燬していなかった(甲四三)。

(5) 西側壁面は、クロスが天井から下方へ延焼し、耐火ボードが露出していた(甲四三)。

(6) 天井のクロスは、入り口から八割程度焼け落ち、または焼け剥がれていた(甲三四)。

(7) 床面は焼燬していなかった(甲三四)。

(七) 台所兼食堂の状況

(1) 東側壁面は、表面クロスが全部消失し、内側の耐火ボードが焼けて黒く変色していた(甲四三)。

(2) 南側の和室との敷居は、西側半分が焼けずに残っていて、襖一枚が火災前は立っていたと認められた。敷居の両側の壁は、表面のクロスが消失し、耐火ボードが白く焼燬して露出し、天井へと延焼していた(甲三四、四三)。

(3) 西側の出窓は、ガラスが全て破損し、アルミの窓枠や骨組が溶解変形し、出窓の周囲の壁も、表面のクロス、耐火ボードが焼燬し、白っぽく変色していた(甲四三)。

(4) 北側の出窓は、ガラスが全損していた。キッチンセット及び吊戸棚の表面は、黒く焼燬していた。流し台扉の裏側に包丁一本が差し入れてあったが、血液反応は認められなかった。流し台の東側にある冷蔵庫は、下段を除き熱損溶解していた。冷蔵庫の東側壁面は、表面クロスが消失、耐火ボードが黒く焼燬していた。(甲三四、四三)。

(5) 床面は、全体的に消失していた(甲四三)。

(6) 天井は、耐火ボードが落ち、断熱材が垂れ下がっていた(甲三四)。

(7) 台所兼食堂内には、楕円形のダイニングテーブル、石油ファンヒーター(別紙現場見取図第5⑨)、電子レンジ等が置かれ、いずれも焼燬は激しかった(甲三四)。

台所兼食堂の入り口付近(別紙現場見取図第5④)には、灯油ポリタンクの可能性もあるピンク色ポリエチレンの溶解物があった(甲三四、四三)。

南側敷居付近の中央よりやや東側に(別紙現場見取図第5③)、ポリエチレン様の溶解物があり、灯油ポリタンクの底部と認められた(甲三四)。

(八) 和室の状況

(1) 和室は、全体的に他の部屋より焼燬が激しく、天井や壁は、焼け落ちていた(甲三四)。

(2) 東側押入の南側壁面は、耐火ボード四枚がいずれも焼け落ち、中の断熱材が露呈し、特に左側の耐火ボードは、断熱材まで焼燬し、一部は断熱材裏側ベニヤ板まで焦げ、真黒の状態であった。押入の襖は南側に引かれ、押入北側下段にある三段式の押入ダンスは最上段を除いて引き出されていた(甲三四、四三)。

(3) 南側にある窓枠は、下側を残して溶け落ち、ガラス戸の西側の壁は、耐火ボードが七割焼け落ち、ここが一番焼燬が激しく、天井も抜けていた(甲三四、四三)。

(4) 西側の出窓は、ガラスが全損し、アルミ枠の上半分が溶解し、出窓床面も炭化していた。出窓の両側のクロス、耐火ボードが焼損落下し、内側の断熱材も黒く焼燬し一部落下していた(甲三四、四三)。

(5) 北側壁面は、下側は黒く、中段は白く、上段はうす茶色に焦げていた(甲三四)。

(6) 天井は、南西角及び北西角の耐火ボードが一部残焼している他は、全て焼損していた(甲三四、四三)。

(7) 畳は、北東隅及び南東隅及び西側以外、部屋中央部を中心に殆ど焼失し、特に南側の焼失が激しかった(甲四三)。

死体を移動すると死体の下部に焼燬物はなく、畳は、死体の頭部・肩部・背中部・臀部の形状どおりに焼け残り、さらに畳裏及び床板に死体の形状をした油様のシミがあった(甲三四、四一、四三、四六[写真番号七ないし九、二一、二二])。

(8) 東側の押入前にピンクや青色の布団、毛布及び羽毛枕があった(甲三四)。

北西角には、ジーンズやセーターが散乱していた。

死体の膝付近に(別紙現場見取図第5C点から九〇センチ、同D点から一一〇センチ、同①)、ステンレス包丁一本があった。焼死体頭部付近のところに(別紙現場見取図第5A点から一四五センチ、同B点から二〇五センチ、同②)、オイルライターのインサイドユニットがあった(甲三四、四三)。

(九) バルコニーの状況

第一回実況見分時室内にあった残焼物をバルコニーに出したところ、第二回実況見分時には、バルコニーからコンドームが発見された(甲四三)。

2  客観的前提事実から推認される事実

(一) 前認定のとおり、夏子が本件アパート二〇二号室に荷物を取りに帰ったこと、洋室東側の押入の襖は引かれ、その南側の洋服ダンスの両開戸も全開しており、その内部の押入ダンスの上部引き出しが引き出されていたこと、和室東側の押入の襖は引かれ、中の押入ダンスが最上段を除いて引き出されていたこと、和室の北西角にジーンズやセーターが散乱していたことからすると、夏子は、本件アパート二〇二号室において、実家に持ちかえる洋服等を取り出していたことが推認される。

(二) 夏子が死亡時刻に比較的接近した時期に性交の事実があったものと認められるとする鑑定結果や、残焼物の中にコンドームがあったことからすると、夏子は、被告太郎と合意で性交したと推認される。

(三) 着衣片が死体の全身にも、床上にも存しなかったことからすると、夏子は、裸のままの状態で焼死していることが窺われる。

なお、夏子の死体の後頸部には布片様のものが付着しているので、この布片様の物が、夏子が死亡当日の朝に着ていた原告春子のピンクのパジャマであった(原告春子本人)と解する余地がないわけではないが、夏子がパジャマを着ていたとすると、夏子の死体の後背部に着衣片が付着していないことは不自然であり、したがって、夏子は、焼死当時、裸であったものと推認され、少なくとも、下半身には、なにも身につけていなかったということになる。

(四) 夏子の右総頸動脈が鎖骨上方一センチの部及び2.5センチの部において、その前壁が比較的整鋭に横に断裂し、比較的鋭利な刃器等による切創の可能性を否定できないとされており、夏子の膝付近に包丁があったことからすると、包丁の刃先が右に向いている状態で、夏子の右総頸動脈が二回にわたって切りつけられたものと認められる。そして、この動脈損傷が直接死因になるような損傷であるとは認めがたいとされるのであるから、夏子は、死亡の前に右損傷を負ったことが推認される。

(五) 夏子の死体の前面部は、高度に焼損しているものの、その後背部である後頭・後頸・背腰部・臀部の皮膚が残存しており、しかも、畳は、死体の頭部・肩部・背中部・臀部の形状どおりに焼け残り、さらに、畳裏及び床板に死体の形状をした油様のシミが認められるところ、夏子が、意識がある状態で火に包まれた場合には、仰向けの状態のままでいることができず、火勢に苦しみ、熱さに絶えかねて、動き回るはずであるから、右認定のような状態はありえないものといわざるをえないことからすると、夏子は、意識を失って横たわり、既に動けなくなった状態で、そのまま焼死したものと推認される。

(六) 和室が、全体的に他の部屋より焼燬が激しく、天井や壁が焼け落ちていることからすると、本件の火元は、和室であると推認することができるが、その火元の和室の北側にあって火元とは距離のある台所兼食堂のキッチンセットや吊戸棚の表面が黒く焼燬し、流し台の東側にある冷蔵庫が下段を除き熱損溶解している上、台所兼食堂のダイニングテーブル、石油ファンヒーター及び電子レンジの焼燬が激しいのに加え、台所兼食堂の床面が全体的に消失していたにもかかわらず、南側の和室との敷居の西側半分が焼けずに残っていることからすると、本件の火災は、和室からのみ火が出て、火勢が増し、和室と台所兼食堂の間にある敷居を焼燬し、さらに、台所兼食堂の床を焼燬し、延焼したというものではなく、台所兼食堂にも、灯油が撒かれていたという人為的な行為が介在したものと推認される。

3  右の推認事実に加え、前認定の事実及び後記のとおり被告太郎の供述を信用できないことを併せ考慮すると、夏子の死亡経過について、次のように認定することができる。

(一) 前認定のとおり、夏子は、被告太郎との同棲後、幾多の暴力、脅迫を受け続け、被告太郎と別れることを望み、死亡する前日、やっと被告太郎と別れることができ、死亡した当日も、原告三郎らに今後の生活について希望に満ちた様子で語っていたのであり、その日、本件アパートに行ったのも、車を路上に止めたことからも明らかなように、単に当面必要なものを取りに一時的に立ち寄ったにすぎないことからすれば、夏子が、被告太郎と心中したり、自殺したりする動機に乏しいこと、むしろ、被告太郎は、同棲していたときから、夏子に対し、一緒に死のうと持ちかけ、まず夏子から包丁で手を切って死ぬように命令していたことがあった事実からすると、被告太郎の方が、死を容易に受け入れる素地があり、実際、被告太郎は、夏子が死亡した当日、手首を切って自殺を図り(乙二、証人冬子、被告太郎本人)、その後も睡眠薬自殺を図っていること、二五歳の若い女性である夏子が、裸か、少なくとも下半身裸のままで自殺することは、その差恥心からいって、およそありえない事態であると考えられること、夏子が、自分で、包丁を刃先を右に向けて持って、首に切りつけ前記のように気を失って動けなくなるほどの傷害を自らの身体に負わせるのは困難であると考えられること、夏子の身体には何らのためらい傷もないことなどを併せ考慮すると、被告太郎が、夏子に傷害を負わせたものと認めるほかない。

(二) すなわち、夏子は、本件アパート二〇二号室で、持ち帰る洋服等を洋服ダンス等から取り出していたところ、母親を送って帰ってきた被告太郎と鉢合わせとなった。被告太郎は、夏子との性行為の後、前日の夏子と別れるとの前言を翻し、夏子と別れるくらいなら一緒に死のうと考え、台所兼食堂の流し台扉の裏側に差してあった包丁二本のうち一本を抜き取り、和室に戻り、包丁を順手で持ち、刃先を右にして、夏子の右総頸動脈付近に二回切りつけ、その結果、和室の中央よりやや北寄りの畳の上に、裸のまま、頭部を南西方に向け、足を北東方に向け、左右大腿部を、外方に約九〇度に開いて、仰向けに倒れて気を失った夏子の身体の前面のほか、和室や台所兼食堂に灯油を撒き、ライターで火をつけた。そして、自らも、手を切り、夏子の上に覆いかぶさったものの(被告太郎本人)、死にきれず、屋外に逃れた。その結果、夏子は、同日午後零時二〇分ころ焼死するに至った。

4  これに対し、被告太郎は、夏子が死亡するまでの状況について、以下のように供述ないし陳述する(甲四七、乙一、被告太郎本人)。

(一)(1) 被告太郎は、夏子と、和室の南北方向に二枚敷かれた西側の布団の上で性交した後、夏子との関係が終息し、別れ話が決定的になっていたのに、別れた気がしなくなって、「このままで会社に行けるかなぁ。」と言うと、夏子が、「そんな太郎ちゃん、見たくない、それなら一緒に死のう。」と言ったため、そんなことはできるわけないだろうと思いながらも、首を縦に軽く振ってうなずいた。

(2) 当時、灯油ポリタンク二つは、台所兼食堂の東側凹部に置いてあり、そのうち北側にあるポリタンクは空で給油ポンプが刺さっていて、南側にあるポリタンクは半分ほど灯油が入っていたところ、夏子は、その灯油が半分ほど入ったポリタンクを持って来て、布団の北側に座っていた被告太郎の南側に立ち、自己の周りに円を描くように灯油を撒き散らした。夏子がポリタンクを被告太郎のすぐ後ろの畳の上に置いたため、被告太郎は、和室の台所兼食堂との境目辺りまで容器をずらした。

夏子は、台所兼食堂の流し台に、包丁を取りに行き、和室の布団の南側に北の方を向いて座り、上半身を南側のガラス戸に向けて、ガラス戸下に数個置いてあったライターのうち一つを取り、布団の右隅に火をつけた。

夏子は、その場所で膝立ちし、包丁の柄を両手で持って、包丁の切っ先を喉仏より少し下のところに一回刺したが、全く出血せず、もう一回刺すと、そのまま左前方に、頭を西向き、足を東側にして仰向けになるようにして倒れた。

(3) 被告太郎も、一緒に死のうと、同じ包丁で、左手首内側を数回切って、包丁を和室南東隅から北西北方2.9メートル、北東隅から南西方1.1メートルの地点に置き、夏子の上に乗って、意識がなくなるのを待った。

しかし、被告太郎は、二分位して我慢できないほど腕が熱くなり、我に返り、このままではいけないと思い、夏子の北側に移動して座り、夏子の左腕を両手でつかんで自己の方に引きずり出そうとしたが、煙が凄く苦しくなり、一旦玄関の方へ行った。このとき、被告太郎には、夏子がああとかううとかうなっている声が聞こえた。被告太郎は、ドアを洋傘と靴で固定してから、台所兼食堂まで行ったが、煙のせいで中が見えず、電気をつけても見えず、どうしようもなくなって、外に出た。

(二) 客観的前提事実との不一致

しかし、右供述及び陳述は、前記客観的前提事実と以下のような相違がある。

(1) 被告太郎は、被告太郎が立ち合った平成六年二月一日の実況見分時においては、布団が和室に南北方向に二枚敷かれていた旨供述していたが(もっとも、被告太郎本人尋問では、冬子が布団を畳んだと言っていたので、実際には一枚のみ敷かれていたと思うとその供述は変遷している。)、前記客観的前提事実から、布団一式は和室の東側の押入の前に畳まれていたと推認され、右事実と被告太郎の供述は一致しない。

(2) 当時、灯油ポリタンク二つは、台所兼食堂の東側凹部に置いてあり、夏子は、そのうち、一つのみ動かし、もう一つは夏子も被告太郎も動かしていない旨供述するが(被告太郎本人)、前記客観的前提事実のとおり、台所兼食堂の入り口付近に(別紙現場見取図第5④)、ピンク色ポリエチレンの溶解物があり、それは灯油ポリタンクが溶けたものと推認されるから、右事実と被告太郎との供述は一致しない。

(3) 被告太郎は、夏子が置いたポリタンクを和室の台所兼食堂の境目辺りまで移動させた旨供述するが(被告太郎本人)、前記客観的前提事実のとおり、灯油ポリタンクの底部と認められるポリエチレン様の溶解物は、台所兼食堂の南側敷居付近にあったのであり(別紙現場見取図第5③)、右事実と被告太郎との供述は一致しない。

(4) 被告太郎は、夏子が、包丁の柄を両手で持ち、切っ先を喉仏の少し下に二回刺し、それ以外刺していない旨供述するが(被告太郎本人)、前記客観的前提事実によると、右総頸動脈の前壁が二カ所比較的整鋭に横に断裂しているところ、右傷は、被告太郎が供述する方法によってはできず、前認定のとおり、包丁の刃先を右にして切りつけることによりできる傷であり、右事実と被告太郎の供述とは相違する。

(5) 被告太郎は、夏子が、和室の布団の南側に、上半身を北側に向けて膝まづき、包丁で二回喉を刺した後、そのまま左前方に、頭を西向き、足を東側にして仰向けになるようにして倒れ、その後被告太郎が我に返った後、夏子の左腕をつかんで北側に引っ張ろうとした旨供述するが(被告太郎本人)、この供述によると、引っ張られた左手に従い、夏子の頭は北側に、足は南側に移動すると推測されるから、頭部が南西方に向き、足が北東方に向いていたとする前記客観的前提事実と相違する。

(6) 被告太郎は、自分の手首を包丁で切った後、その包丁を和室南東隅から北西北方2.9メートル、北東隅から南西方1.1メートルの地点に置いた旨供述するが、前記客観的前提事実のとおり、包丁は夏子の死体の膝付近(別紙現場見取図第5①)に発見されたのであって、右事実と被告太郎との供述は異なる。

(7) 被告太郎は、玄関に一旦出たとき夏子のうめき声が聞こえた旨供述しているので(被告太郎本人)、右供述によると、夏子は苦しんで身体を動かしたものと推測されるところ、もし夏子が苦しんでのたうち回ったのであれば、背面部の皮膚は残存することなく焼損するはずであり、また畳も焼け残ることがないはずであるが、実際は、夏子の後部の一部の皮膚は残存し、また、畳は、死体の形状どおり焼け残っている。

(8) 被告太郎は、夏子が和室にのみ灯油を撒き、台所兼食堂が焼失しているのは、和室と台所兼食堂の境に置いた灯油ポリタンクが溶けて、台所兼食堂・玄関まで流れたのではないかと供述するが(被告太郎本人)、前記客観的前提事実のとおり、台所兼食堂の壁面はクロス及び耐火ボードが焼失しており、床面も全体的に焼失し、被告太郎が推測して供述するような灯油ポリタンクが倒れたことによる焼燬状態とは認められない。

(9) 被告太郎は、灯油は夏子の身体にはねたが、浴びるほどかかっていない旨供述するが(被告太郎本人)、前記客観的前提事実のとおり、夏子は前面部は頭部から下肢部にかけて火傷が著しく、後頸部には灯油の臭気のする布片が付着し、夏子の身体にも灯油がかけられていたと推認され、右事実と被告太郎との供述は一致しない。

(10) 以上のように、客観的事実と種々矛盾する被告太郎の供述は、全く信用することができない。

(三) 動機の不存在

被告太郎の供述によると、被告太郎が「このままで会社に行けるかなぁ。」と語ったことが、夏子が被告太郎と心中する決意のきっかけとなったことになる。

しかし、前認定のとおり、夏子は、死亡する前日の平成五年一二月一三日、被告太郎からの暴行、脅迫に耐えられず、実家に逃げ帰り、今度こそ完全に被告太郎と別れようと決心し、被告太郎と別れたのであって、夏子が死亡した同月一四日、本件アパートに行ったのも、単に洋服を取りに行くためであったのであるから、被告太郎から、会社に行けるか心配であると言われたからとて、被告太郎と別れようとの固い決心が揺らぐとは到底考えられない。しかも、中学時代からのつきあいであるA子を初め、夏子の友人・知人は、夏子のことを、前向きで、かつ冷静で、自殺を図るような人物ではない旨口をそろえて陳述していること(甲一七ないし三一)も考え併せると、右被告太郎の供述は、信用することができない。

5  以上に検討したことを総合すると、被告太郎は、夏子の右総頸動脈付近を包丁で切りつけて傷害を負わせて昏倒させた上、本件アパート二〇二号室に放火して、夏子を焼死するに至らしめたものと認められ、右行為は不法行為を構成することが明らかである。

三  争点1(三)(原告三郎らの損害)について

1  夏子の損害

(一) 逸失利益

三七一八万三四六九円

夏子は、昭和四三年一月二一日生まれで、平成五年一二月一四日の死亡当時二五歳であって、同人の稼働可能期間は二五歳から六七歳までの四二年間とするのが相当である。平成五年の賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、学歴計によれば、女子・高卒・二五歳の労働者の年収額は、三〇四万八八〇〇円である。そのうえで、生活費控除を三割とし、中間利息をライプニッツ式計算法(係数17.423)により控除して、夏子の逸失利益を計算すると、3718万3469円(304万8800円×0.7×17.423、以下円未満切り捨て)となる。

(二) 慰謝料 三〇〇〇万円

前認定のとおり、被告太郎は、平成五年六月ころから、夏子に対し、再三に亘って暴力を振るい身体に怪我を負わせ、実家に帰ったら家に火をつけると脅迫した上、夏子が被告太郎と別れる決意をしたことに納得せず、首を包丁で二回切った挙げ句に放火して焼死させたのであって、これにより夏子の被った精神的苦痛を慰謝するに足る金額は、三〇〇〇万円と判断するのが相当である。

(三) 小括

夏子の損害は、合計六七一八万三四六九円であるところ、原告三郎らは、夏子の父母であり、相続分は二分の一ずつであるから、原告三郎らは、各自三三五九万一七三四円ずつ相続により承継した。

2  原告三郎らの損害

(一) 葬式費用

前認定のとおり、夏子の通夜は平成五年一二月八日、葬式は同月一九日行われたが、その具体的な葬式費用については、夏子の地位・職業等を考慮して、一二〇万円をもって本件と相当因果関係のある損害と認める。

(二) 慰謝料

被告太郎は、夏子を包丁で切りつけた上、放火して殺害したのであって、原告三郎らの被った衝撃と悲痛は極めて大きく、この精神的苦痛を慰謝するに足る金額は、各自一〇〇〇万円合計二〇〇〇万円と判断するのが相当である。

3  弁護士費用

原告三郎らが、その訴訟代理人今井三義に本訴の提起・遂行を委任していることは明らかであるが、被告太郎に請求できるのは認容額の約一割とするのが相当であるから、原告三郎らは、被告太郎に対し、1、2の合計八八三八万三四六九円の約一割にあたる八八四万円を請求できるとするのが相当である。

4  以上により、原告三郎らは、被告太郎に対し、不法行為に基づき、各自四八六一万一七三四円及びこれらに対する夏子が死亡した平成五年一二月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を請求することができる。

四  争点2(一)(本件アパート二〇二号室が全焼したことによる損害につき、夏子は、債務不履行責任及び共同不法行為責任、被告太郎は、共同不法行為責任を負うか。)について

1  前認定のとおり、本件賃貸借契約を締結したのは夏子であるが、夏子が本件アパートに入居した後、被告太郎も同居し始めたのであるから、被告太郎は、原告乙野が同居を承諾したか否かにかかわらず、夏子の履行補助者の立場にあったといえる。もっとも、夏子は、本件事件のあった前日の平成五年一二月一三日には、被告太郎と別れることにしたが、なお同月一八日までは、被告太郎が、本件アパート二〇二号室に居住することを承諾したのであるから、被告太郎は、本件事件のあった同月一四日も、なお、夏子の履行補助者であったといえる。

よって、被告太郎が、夏子の右総頸動脈を包丁で切りつけた上放火したことにより、本件アパート二〇二号室を全焼させ、本件賃貸借契約に基づく目的物返還義務を履行不能にさせたことによる損害については、夏子が責任を負うというべきである。

2  また、右被告太郎の行為は、不法行為を構成する。

3  よって、原告三郎は、本件連帯保証契約に基づく責任を、原告春子は、夏子から相続した債務不履行責任を、被告太郎は不法行為責任を負う。

五  争点2(二)(原告乙野の損害)について

1  原告三郎及び原告春子に対する請求

(一) 本件アパート二〇二号室の損害

本件アパート二〇二号室の賃料は、共益費・駐車場代を含めて月額七万一〇〇〇円であるところ、夏子は、平成五年一二月分まで支払い、次の入居者は、平成六年一二月四日に入居し、同日から賃料等を支払ったのであるから、同年一月一日から同年一二月三日までの賃料合計七八万七八七〇円が損害となる(丙一、四、原告乙野)。

(二) さらに、原告乙野は、原告三郎及び原告春子に対し、本件アパート一〇二号室の損害、火災処理のために要した費用及び慰謝料を請求しているが、原告三郎及び原告春子の責任は、本件賃貸借契約に基づく目的物返還義務を履行不能にさせたことによって負うべき夏子の責任を連帯保証又は相続したことによる責任であるから、それによって生じた損害である(一)の賠償を請求することは認められるが、被告太郎の不法行為によって生じた右各損害を請求することはできない。

(三) 右(一)の損害賠償債務を、原告三郎は、連帯保証しており、原告春子は、二分の一の割合で相続した。

2  被告太郎に対する請求

(一) 本件アパート二〇一号室の損害

右認定のとおり、その損害額は七八万七八七〇円である。

(二) 本件アパート一〇二号室の損害

本件アパート一〇二号室の賃料は、共益費・駐車場代を含めて月額六万八〇〇〇円であるところ、平成五年一二月一四日の火災の際の消火活動により、住める状態ではなくなり、原告乙野は、賃借人佐々木剛が支払った平成五年一二月分の賃料のうち同月一四日以降の分を右佐々木に返済し、次の入居者は、平成六年一二月一〇日に入居し、同日から賃料等を支払ったのであるから、平成五年一二月一四日から平成六年一二月九日までの賃料合計八〇万七二二四円が損害となる(丙五、七、一五、原告乙野)。

(三) 火災処理のために要した費用

原告乙野は、交通費、近隣挨拶等に要した費用、本件建物修復に伴う迷惑料、見舞金について、合計八七万一四四一円かかったとの丙六号証を提出しているが、右は、原告乙野が、メモ及び記憶に基づき記載したもので信用することができるから、右八七万一四四一円が損害となる(丙六、原告乙野)。

(四) 慰謝料

原告三郎らが、平成六年二月二日、被告太郎を、殺人罪及び現住建造物放火罪で告訴し(甲二)、本件アパートを捜査する必要が生じたため、本件アパートの復旧工事が再三に亘って延期されたことにより、原告乙野は、自宅のある神戸と、本件アパートのある藤沢とを一、二回往復して、施工業者へ段取り替えを要請し、近隣住民に協力を要請したこと、原告乙野は、本件アパート二〇二号室の火災により、本件アパートの価値が下落するのではないかという不安を抱いたことが認められ(原告乙野本人。なお、原告乙野は、さらに慰謝料を請求する根拠として、原告三郎らの行動を主張しているが、不法行為をした被告太郎に対する慰謝料請求以外の原告三郎らの行動は、算定の根拠となり得ない。)、右原告乙野の受けた精神的苦痛は、五〇万円と認めるのが相当である。

3  以上により、原告乙野は、原告三郎に対しては、本件連帯保証契約に基づき、七八万七八七〇円及びこれに対する原告乙野から原告三郎に対する請求の後である平成六年四月一日から(甲四〇。なお、原告乙野の平成六年三月二九日付け書面は、遅くとも同月三一日までには到達したと推認される。)支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告春子に対しては、夏子から相続した債務不履行責任に基づき、三九万三九三五円及びこれに対する同じく平成六年四月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、被告太郎に対しては、不法行為責任に基づき、二九六万六五三五円及びこれに対する本件アパートに放火した平成五年一二月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を請求することができる。

第四  以上によれば、原告三郎ら及び原告乙野の請求は、それぞれ主文掲記の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法六一条、六四条本文・ただし書、六五条一項本文を、仮執行宣言については同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

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